盗難通帳による預金払戻しと民法478条による金融機関の免責の可否

東京地判平成17年2月28日(判例時報1907号77頁、金融・商事判例1213号34頁)
2006.6.29 白石 大


事実の概要

 法人預金者であるX1は、平成10年5月21日当時、Y銀行A支店に普通預金1777万円余を有していたが、同日未明に同口座の通帳及び届出印を窃取され、同日中にYのA支店以外の7支店で計1777万円が払い戻された。
 またこれとは別に、個人預金者であるX2は、平成14年2月14日当時Y銀行B支店に普通預金1708万円余を有していたが、同日以前に同口座の通帳を窃取され、同日Y銀行C支店で1600万円が払い戻された。
 Xらからの払戻請求に対してYは、本件預金払戻しは債権の準占有者に対する弁済として有効である等と主張した。
 なお、平成10年頃以降、複数の組織的な窃盗グループによるピッキング用具を用いた侵入窃盗事件が急増し、また、スキャナやデジタルカメラ等、印影の複製を可能とする機器の複製精度が向上し、印章や印影を極めて精巧に偽造することが可能となったため、盗取した預金通帳等によって預金を不正に払い戻すといった事犯が急増し、社会問題化しつつあった。


判旨

 X1の請求棄却、X2の請求認容。
 (ⅰ)「金融機関による預金の払戻しにつき、民法478条が適用されて、その払戻しが有効とされるには、金融機関において、払戻請求者に受領権限があると信じるについて無過失でなければならないが、この無過失か否かの判断は、払戻請求者に正当な受領権限がないと疑うべき特段の事情がない限り、払戻請求書に押捺した印影と届出印の印影を照合して、金融機関として取引通念上要請される相当な注意をもってその同一性を確認すれば、払戻請求者に正当な受領権限があると信じたことに過失はなく、その払戻しは有効というべきである。しかし、上記の『特段の事情』がある場合には、具体的な状況に応じ、印影照合に加えて、相当な方法による確認措置を取る必要が生ずるというべきであり、これを怠って払戻請求者に弁済受領権限があると信じたときは過失があるということになる。」
 (ⅱ)「印影照合に重点を置いた確認措置が合理性を有するのも…盗取事犯及び不正払戻しが少なかったという社会的背景を前提とするものであって、このような前提を覆すような事件が生じ、これが社会的に広く認知されるようになれば、上記確認措置はその見直しを迫られ、これに対応して、印影照合を中心とする払戻請求者に対する払戻権限の確認の手法も変容を余儀なくされ、その注意義務の程度も加重される場合があるといわなくてはならない。しかし、X1事件が発生した平成10年5月当時、いわゆるピッキング犯罪による預金通帳及び印鑑の盗取等による預金の不正引出事故が多発していたことは未だ社会的に広く認知されるに至っていなかったのであるから、Yにおける上記の印影照合による権限確認機能が失われていたということはできず、また、権限確認に際してYの注意義務が加重される状況にあったということもできない。」
 (ⅲ)しかし、「X2事件の発生した平成14年2月当時は,ピッキングにより盗取された預金通帳等による不正な払戻事犯が多発していることが社会に広く認知されていたのである。そうすると、Yとしては、こうした事態を受けて、預金者保護の見地から、払戻請求書の印影のみならず、記載されている事項全般にも注意し、払戻請求者の態度などにも注意を傾けて、不審な点があれば、印影照合にとどまらない権限確認を行う義務が発生していたというべきである。」
 (ⅳ)「〔X2事件では〕本件払戻請求書に係る払戻しに際し、上記の印影照合について、Yに過失があったということはできない。そこで、上記払戻しにおいて、払戻請求者に正当な受領権限がないと疑うべき特段の事情があったか否か、また、この特段の事情があったと認められる場合、Yの窓口担当者が具体的な事情に応じた相当な確認措置をとっていたか否かについて検討を加える。」
 本件払戻請求書に記載されたX2の氏名を詳細に見ると、本来の書き順と異なる順に書かれたことがうかがわれる。加えて、払戻しがされたY銀行C支店は、X2において従前利用したことのない支店であり、また、個人の預金口座であるのにその払戻額は高額な取引であり、その全預金額に占める割合も約93.6%と高かった。
 「このような事情からすると、本件においては、払戻請求者に正当な受領権限がないと疑うべき特段の事情があったというべきである。このような場合、Yの担当者としては、払戻請求者から、印鑑を借り受けて、印を押し直すなどして再度印影の確認を行ったり、暗証番号の確認を行うなどの本人確認の措置を行う必要があったというべきである。ところが、Y担当者は、上記のような措置をとることなく、上記払戻請求者の払戻請求に応じてしまったのである。仮に、Y担当者が上記の不審事由に気付いて、さらに子細に印影の確認や本人確認といった措置をとっていれば、上記のような印影の相違に気付き、本件払戻請求書による不正な払戻しを防止することができたものと思われる。」
 「したがって、Yには上記の点において過失があるというべきであるから、X2事件におけるYの払戻しは、普通預金規定上の免責条項ないし民法478条によっても免責されず、無効というべきである。」


評釈

1 問題の所在

 通帳を盗取した者が金融機関に払戻請求を行い、金融機関が印鑑照合を行ったうえでこの者に預金を払い戻した後に、正当な預金者から金融機関に対して払戻請求がなされる場合、金融機関としては、盗取者に対する払戻しが債権の準占有者に対する弁済(民法478条)として有効であり、これによって預金債権は既に消滅していると主張することになる注1。債務者が民法478条により免責されるためには善意無過失が要求されるが注2、債務者が金融機関の場合には、払戻請求書に押捺した印影と届出印の印影を照合して金融機関として取引通念上要請される相当な注意をもってその同一性を確認すれば比較的容易に無過失と認定されるのが従来は一般的であったといえよう注3

 しかし近年、ピッキング犯罪が多発し、盗取された通帳に貼付されていた副印鑑が高性能化したパソコン・スキャナーによって複写されることにより、不正に預金が引き出される事故が急増している。このような社会情勢を受けて、金融機関の免責を否定した裁判例も相次いでいる注4 。このような流れの中で、本判決は、同一判決中に金融機関の免責を肯定した事例と否定した事例が並存している点において興味深いものである。

2 裁判例の流れ
 預金の払戻しにおける金融機関の注意義務につき、最判昭和46年6月10日民集25巻4号492頁が「届出印鑑の印影と当該手形上の印影とを照合するにあたっては、特段の事情のないかぎり、折り重ねによる照合や拡大鏡等による照合をするまでの必要はなく、前記のような肉眼によるいわゆる平面照合の方法をもつてすれば足りるにしても、金融機関としての銀行の照合事務担当者に対して社会通念上一般に期待されている業務上相当の注意をもつて慎重に事を行なうことを要し、かかる事務に習熟している銀行員が右のごとき相当の注意を払つて熟視するならば肉眼をもつても発見しうるような印影の相違が看過されたときは、銀行側に過失の責任がある」との基準を示して以降、実務ではこの基準により金融機関の過失の有無が判断されてきた注5。その結果、金融機関は印鑑照合を慎重に行う限りはかなり手厚い免責を享受してきたといえる注6
 しかし、前述のピッキング犯罪の多発や複写技術の高性能化といった社会情勢の変化も考慮して、裁判所は金融機関の免責を容易に認めない傾向に転換しつつあるように見受けられる。免責を否定した裁判例を見ると、金融機関の責任を厳格化するうえで2つの方向性が見られる。第1は、印鑑照合自体の注意義務を加重する方向性であり、第2は、取引通念上払戻請求者が正当な受領権限を有しないことを疑わせる「特段の事情」がある場合に、印鑑照合以外の方法(例えば払戻請求書に住所を記載させる等)による本人確認義務を課す方向性である。
 第1の方向性は、昭和46年最判のいう「金融機関の照合事務担当者に対して社会通念上一般に期待されている業務上相当の注意」のレベルを高く設定し、従来の判例の枠組みの中で金融機関の注意義務を加重しようとするものである。これに対して第2の方向性は、一見すると昭和46年最判の「特段の事情のないかぎり」という判示を踏襲しているようであるが、昭和46年最判は特段の事情がある場合であっても、折り重ね照合や拡大鏡等による照合のようなより慎重な印鑑照合を要求しているに過ぎないと読むのが自然であり注7、実質的には昭和46年最判の基準を一歩進めたものと評価することができよう注8
 第1の方向性にある裁判例の多くは、金融機関職員の目視による印鑑照合が問題となった事例であるが注9 、その中にあって興味深いのが東京地判平成16年10月14日判時1907号63頁である。近時金融機関では、払戻請求書の印影と届出印影から真偽判別に有効な特徴を抽出して両者の一致率を算出する「印鑑照合システム」が導入されているが、同判決は、算出された一致率が90%以上であったとしてもこれを印影が相違するか否かの絶対的基準とすることはできないと判示している。印鑑照合システムは機械照合を本来の目的としたものではないが注10 、金融機関の現場ではシステムが算出する一致率を重視する傾向があったようであり、同判決は機械照合を信頼しても印鑑照合時の注意義務を果たしたことにはならないとして注意義務のレベルを相当高く設定したものと解される。
 次に、第2の方向性にある裁判例では、①払戻請求者の挙動不審注11 、②性別の不一致・他人口座の払戻し注12 、③氏名・住所・電話番号・筆跡の不一致注13 、④高額の払戻し注14 、⑤他店による払戻し注15 、⑥内部規定違反注16等が、払戻請求者が正当な受領権限を有しないことを疑わせる「特段の事情」として考慮されている注17。また、東京地判平成17年2月21日判時1907号73頁は、定期預金払戻しの際に本人確認資料として提示された健康保険証の生年月日欄に「昭和1年6月1日」という暦上存在しない日付(昭和元年は12月25日に始まる)が記載されていた事例において、健康保険証を用いて本人確認をする立場の者としては、昭和64年がほとんどないのと同様に昭和元年もほとんどないこと程度の事実は認識しておくべきであるとして、金融機関の過失を認定している注18

3 本判決の構造
 本判決は、払戻請求者に正当な受領権限がないと疑うべき「特段の事情」があれば金融機関に印鑑照合以外の確認措置を取る義務が課される旨を明言しており(判旨(ⅰ))、前述の第2の方向性にある裁判例と位置づけられる。その上で本判決は、「特段の事情」の有無について、ピッキング犯罪による預金の不正引出事故が多発していたことについての金融機関の認識に大きなウェイトを置いて判断している。すなわち、X1事件が発生した平成10年5月当時においてはこのような事犯が多発していたことは未だ社会的に広く認知されておらず、金融機関の注意義務が加重されて印鑑照合以外の受領権限確認措置を講ずべき状況にはなかったとする(判旨(ⅱ))一方で、X2事件が発生した平成14年2月当時には既にこのような事実は社会に広く認知されるようになっていたのであるから、金融機関としては払戻請求書の印影のみならず記載事項全般に注意し、不審な点があれば印鑑照合にとどまらない権限確認を行う義務が発生していたと判示している(判旨(ⅲ))。そして、氏名が本来の書き順と異なる順で書かれたようにうかがわれること(前述の類型では③に類似)、X2が従前利用したことのない支店での払戻しであること(⑤に類似)、高額かつ全預金額に占める割合の高い払戻しであったこと(④に該当)を加味したうえで、X2事件では払戻請求者の受領権限を疑うべき特段の事情があったことを認定し、金融機関の過失を認めたものである(判旨(ⅳ))。
 ここでは本判決の論理構造について次の3点を指摘しておく。
 第1に、本判決は発生時点の異なる2つの同種事件が併合審理され、事件発生が金融機関による不正引出し事故多発の認識時期より前であったか後であったかによって金融機関に求められる注意義務のレベルを区別したものとして独自の意義を有する裁判例である。行為者の認識・知見に応じて注意義務の程度が高まり、当該認識が一般化する前は過失とされなかった行為が、認識が一般化した後には過失と評価されるという枠組みは、医療事故等の分野でも見られたところである。例えば、未熟児網膜症に関する一連の裁判例では、未熟児網膜症を防止する治療法として光凝固法を紹介した厚生省研究班報告書が公表された時点(昭和50年)を境として、それ以後の医療機関の注意義務を加重するという枠組みが用いられたことがある注19 (いわゆる昭和50年線引き論注20)。盗難通帳による預金の不正引出しについても、本判決を一例として、裁判例の集積により一定の基準時のようなものが形成されていくことが予想される注21 。ちなみに本判決では、平成11年に警視庁が主要金融機関に対策を要請したこと、平成12年以降は不正引出事故が頻繁に報道されるようになったこと、平成13年にはYも顧客に対して印影偽造を防ぐために副印鑑の抹消を呼びかけていたこと等を認定したうえで、平成14年2月のX2事件当時にはYの注意義務は高まっていたと判断している注22
 第2に、不正引出し事故多発に関する金融機関の認識は、本判決では「特段の事情」を肯定するための必要条件として機能しているように読める点である。このことは、判旨引用部分の後に「(X1事件当時には)X2事件発生時のように、社会情勢の変化に伴って注意義務の程度が高くなっていたとは認められず、Yとしては、相当の注意をもって印影を照合し、これを同一と認めて払戻しを行っていれば、債権の準占有者に対する弁済として免責される」と判示しているところからうかがわれる。このような判断枠組みに基づくと、金融機関が同種事犯の多発に関する認識を欠いていれば、他の要素を検討するまでもなく「特段の事情」の存在は否定され、金融機関は印鑑照合自体に過失がなければ免責される。これに対して、金融機関にこのような認識があれば、そこではじめて「特段の事情」の有無が他の要素も加味して検討されることになる。そこで、仮にX2事件がX1事件と同時期に発生していたとしたら、本判決の基準の下では金融機関は免責されたのではないかと思われる。なぜならば、X2事件では印鑑照合自体に過失はなかったと認定されているからである(判旨(ⅳ))。不正引出し事故多発に関する認識の前後で注意義務の程度をここまで截然と分けることの是非は問題となりえようが、金融機関の免責を比較的容易に認めていた従来の裁判例と、金融機関の責任を厳格に捉える近時の裁判例との論理的整合がここに試みられていると解することも可能であろう。
 第3に、X2事件で「特段の事情」を肯定する根拠となった各要素は、個々に見るとそれのみでは金融機関の注意義務を加重するまでには至らない程度の些細な事情であるが、本判決はこれらを総合的に判断して「特段の事情」を肯定しているように思われる点である。氏名欄の書き順が本来の順ではなかった点については、自分の氏名を正当な書き順とは異なる順で書く者も皆無ではないし、払戻し額が高額であった点や従前取引がなかった支店での払戻しであった点についても、普通預金が要求払いであり、預金約款上口座所属店以外での払戻しも認められている以上、それ自体では必ずしも払戻請求者の受領権限を疑わしめるものではないと思われる。しかし、これらの事情がすべて揃ったX2事件では、金融機関は払戻請求者の受領権限を疑ってしかるべきであったと考えられるのであり、この点に関する本判決の判断は妥当であると解する注23


脚注一覧

注1 金融機関としてはこれに加えて、通帳と印鑑の持参人に弁済したときは免責される旨規定した預金約款の適用を主張することが考えられるが、この約款規定によって金融機関の免責の範囲が民法478条による免責以上に広がるわけではないと解されている。後掲最判昭和46年6月10日民集25巻4号492頁。

注2 条文上無過失の要件が明記された平成16年改正の前にあっても、判例(最判昭和37年8月21日民集16巻9号1809頁等)・通説(我妻栄・民法講義Ⅳ279頁等)は無過失を要求していた。


注3 金融機関の免責を肯定した裁判例として、名古屋地判平成4年3月18日判時1442号133頁、東京高判平成12年2月23日金法1585号38頁、大阪地判平成12年10月30日判時1740号65頁等。

注4 東京地判平成15年1月15日金商1163号17頁、横浜地判平成15年9月26日判時1850号136頁、東京地判平成15年12月3日金法1696号79頁等。

注5 松本恒雄・菅原胞治・渡辺博己・滝澤孝臣ほか「〈座談会〉盗難通帳による預金払戻しをめぐる諸問題-最近の判決と銀行実務を中心に-」金融法務事情1674号7頁以下、9頁。

注6 [注3]の各裁判例参照。

注7 「特段の事情」を専ら印鑑照合の際の注意義務を加重するものと位置づける裁判例として、東京高判平成9年9月18日判タ984号188頁、大阪地判平成13年3月29日判タ1072号155頁等(以上、前掲昭和46年最判と同旨を判示)、名古屋地判平成13年9月14日金法1673号48頁、福岡地判平成16年1月27日金法1704号70頁等(以上、前掲昭和46年最判を引用)がある。

注8 この点に関して、東京地判平成14年4月25日金商1163号24頁は昭和46年最判を「参照」しつつ、「預金の払戻しに当たり、取引通念上払戻し請求書が正当な受領権限を有しないことを疑わせる特段の事情がない限り、払戻し担当者は、印影の照合は、肉眼による平面照合の方法を採れば足り、折り重ねによる照合や拡大鏡等による照合をするまでの必要はない(下線筆者)」と判示しており注目される。

注9 この観点から金融機関の過失を肯定したものとして、大阪地判平成14年2月26日判タ1127号177頁等がある。

注10 印影を複写されないよう通帳副印鑑を廃止したことに伴い、口座開設店以外での払戻請求に対応すべく印影をオンラインで表示するため導入されたものである。前掲[注5]松本・菅原・渡辺・滝澤ほか12頁。


注11 名古屋高判平成15年1月21日金法1673号44頁等。

注12 新潟地判平成16年3月16日金商1193号46頁等。

注13 東京高判平成16年1月28日金法1704号59頁等。

注14 さいたま地判平成16年6月25日金法1722号81頁等。

注15 東京地判平成15年12月3日金法1696号79頁等。

注16 大阪高判平成14年3月26日金法1648号56頁等。

注17 佐々本正人「払戻請求者が無権限であると疑わせる特段の事情と金融機関の注意義務」金法1674号37頁参照。なお、論者は「特段の事情」の一類型として「副印鑑制度を悪用した酷似印鑑による被害の多発の認識」も挙げているが、このような一般的・非個別的な事情はそれ自体が「特段の事情」に該当するものではなく、むしろ金融機関の注意義務を高め「特段の事情」を認められやすくする条件であると考えられる。

注18 なお、このような定期預金の期日前解約の場合に金融機関の注意義務が加重されるかという問題がある([注7]の福岡地判平成16年1月27日及び[注13]の東京高判平成16年1月28日も定期預金の期日前解約の事例である)。この点については、最判昭和54年9月25日金商585号3頁が「銀行が定期預金の中途解約、払戻請求に際し、預金者と払戻請求者の同一性確認のために行うべき手続は…より加重された注意義務を負うとはいうものの、当該払戻請求に関し、右同一性に疑念を抱かせる特段の不審事由が存しない限り、原則として、被控訴銀行その他多くの都市銀行が履践している預金証書と届出印鑑の所持の確認、事故届の有無の確認、中途解約理由の聴取、払戻請求書と届出印鑑票各記載の住所氏名および各押捺された印影の同一性を調査確認することをもって足り」ると判示した原審(大阪高判昭和53年11月29日金商568号13頁)を支持している。また、定期預金の期日前解約と経済的実質が類似する総合口座の貸越限度枠内の払戻しについては、最判昭和63年10月13日判時1295号57頁が普通預金の払戻しと同程度の注意で足りるとしている。さらに、近年においては前掲福岡地判平成16年1月27日が、定期預金の自動継続が常態化しており普通預金と定期預金の金利差もほとんどない現状の下では、定期預金の期日前解約の場合も普通預金の払戻しと同程度の注意で足りると判示するに至っている(同旨、東京高判平成16年1月27日金法1704号65頁)。学説においては、これらの下級審裁判例を支持する見解(潮見佳男・債権総論Ⅱ〔第3版〕267頁)がある一方で、定期預金の注意義務の基準を引き下げることに否定的な見解(宮川不可止「定期預金の期日前解約における過失要素の再構成-注意義務基準の再考」銀行法務21・660号18頁)も見られる。

注19 昭和50年より前の事例で医療機関の責任を否定した裁判例として、最判昭和54年11月13日判時952号49頁、最判昭和63年1月19日判時1265号75頁、最判昭和63年3月31日判時1296号46頁等。昭和50年より後の事例で医療機関の責任を肯定したものとして、最判昭和60年3月26日民集39巻2号124頁等。

注20 ただし、最判平成7年6月9日民集49巻6号1499頁は「ある新規の治療法の存在を前提にして検査・診断・治療等に当たることが診療契約に基づき医療機関に要求される医療水準であるかどうかを決するについては、当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきであり、右の事情を捨象して、すべての医療機関について診療契約に基づき要求される医療水準を一律に解するのは相当でない」として、昭和49年に発生した事例につき医療機関の過失を認定しており、最高裁は注意義務が高まる時点は必ずしもすべての医療機関につき同一であるわけではないという判断に至った点に留意する必要がある。


注21 なお、注意義務が高度化する時点をすべての金融機関につき画一的に設定することには慎重であるべきだが([注20]参照)、大手金融機関が預金不正引出しの多発を認識した時期は中小金融機関と比較して特に早いわけではなく、また中小金融機関は大手金融機関と比較して対策を施すことが困難であったとまではいえないので、未熟児網膜症の事例よりは基準時の画一化になじむ事例であると思われる。

注22 これまでの裁判例では、本判決のX2事件と同様、平成14年までには金融機関の注意義務が高まる状況にあったことを認定しているものが多いようである。大阪地判平成16年7月23日金商1207号34頁、東京高判平成16年8月26日金商1200号4頁、東京地判平成16年9月6日金商1230号44頁、東京地判平成16年12月20日判タ1189号258頁等。


注23 ところで近時の裁判例の中には、昭和1年6月1日が実在しないことを看過した点に過失があるとした前掲東京地判平成17年2月21日のように、金融機関に過大な注意義務を要求していると思われるものも散見される。しかし他方では、盗難通帳による不正引出事故においては預金者も金融機関もともに被害者であり、どちらに損害を負担させるのがより公平かという見地から過失の有無が判断されている面もあるように思われる。
この点につき、平成18年2月施行の「偽造カード及び盗難カード等を用いて行われる不正な機械式預貯金払戻し等からの預貯金者の保護等に関する法律」は、盗難カードによる払戻しについて預貯金者が一定の要件を満たす場合には金融機関が損害の全額又は4分の3を補てんすべきことを定めている(5条)。この補てんは、盗難カードによる払戻しが民法478条により有効な弁済となるか否かにかかわらず行われ、同法を根拠として新たな請求権を発生させるものである。同法は、本来どちらが悪いわけでもない事実によって発生した損害を実質的にどちらが負担すべきかという点について、従来の取扱いを180度転換したものであり、預貯金者保護の立場からきわめて画期的であると評価されている(石田祐介「『偽造カード等及び盗難カード等を用いて行われる不正な機械式預貯金払戻し等からの預貯金者の保護等に関する法律』の概要」NBL818号20頁以下、26頁)。
同法は盗難通帳による窓口での払戻しは対象としていないが、係属中の盗難通帳の事件に同法の定める補てん割合をそのまま採用する裁判所の和解案も既に出ているとのことである(岩原紳作・野間啓・松本貞夫「〔鼎談〕偽造・盗難カード預貯金者保護法と理論・実務上の課題」ジュリスト1308号8頁以下、12頁)。同法に準じる和解が盗難通帳の事案に広く採用されるようになり、さらには同法のような金融機関の補てん義務の法定へと発展するか、今後の展開が注目される。